
脳内整理19
『主体性は本当に育ってる?』
憲法だと
・大人(保護者)→子どもに教育を受けさせる義務
・子ども→教育を受ける権利
があると書かれています。
でもこれが書かれたのはもう70年以上前で、
「家業があって〈勉強〉をしに学校に行きたくてもいけない」時代に決められたものです。
ですが、今やほとんどの子が高校に行ける時代です。高校進学率は98.6%にもなるそうです。
今は奨学金があるので、「貧困だから」という理由で高校進学を諦めなければならない子の数はかなり減っています。
昔は、「学びたくても学べない」「学校に行きたくてもいけない」という子が大勢いたので、
『学校に行けます!』
『親には教育を受けさせる義務があります!』
となった時の子どもたちの「学びたい!」の感情はMAXでした。
ドキドキワクワクする念願の「勉強」だったので、それが学校でできる!となった時の【吸収率】ったらすごいものでした。
#スポンジ
勉強は本来ワクワクドキドキするものです。
自分が興味のあるものを深く掘り下げるもの(探究)です。
学問研究は
誰かから「やれ」と言われるものではなく、
自分から「やりたい」と思うものです。
それが主体性です。
でも今や学校は「我慢するところ」「耐えるところ」のように捉えられちゃってる面も強いと思います。
我慢?耐える?
そんなところから〈ドキドキ〉〈ワクワク〉が生まれてる?って話で。
昔は学べない子がいたから
「教育を受けさせる義務」が必要だったわけで、
今ももちろんその義務や権利が必要な子、それによって守られている子もいる一方で、
それが足枷になってしまってる子もいるのでは?
もちろん
「これを学べ!」という姿勢で勉強させることが大切!という先生がいてもいいと思います。
そういう先生に学びたい!という子もいるとおもいます。
でも、その代わり
「子どもたちの主体性に任せる!」
「子どもたちのワクワクドキドキを尊重する!」って先生がいていいと思います。
そして、先生は
「子どもがどちらの先生にもアクセスできる環境」
を作るのが大切な役割なのではないでしょうか?
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