学校教育の未来のために

学校教育の未来のために

未来への提言

朝、思いついて書き殴りました。

長すぎて誰も読まないやつ。
お暇な時にどうぞ。
教育の未来のために。

来年への提言 私感を含め

○これまでの社会情勢とこれからの社会情勢
右肩上がりの経済成長、大量生産、大量消費、薄利多売、終身雇用、退職金制度、年金制度など、ある程度の学歴?というものがあれば、それは保証され、学校は保証する目的となっていました。いい大学、いい高校に入れば保証されるということです。または、システムの中で働くことで仕事を得て、賃金を得るという能力は、学校教育という画一化された環境で身につけていました。
その結果、日本のG D Pは上がらず、教育の公的支出、労働生産性、睡眠時間、やる気、やりがい、仕事満足度、国への誇り、幸福度、自己肯定感、仕事への生きがいなどは世界最低レベルとなり、自殺率も先進国ではグンを抜いてトップです。
これを踏まえ、国は学習指導要領が改定し、そこには、子供たちの主体性が最重要視されています。評価観点の中に「主体的な態度」が加わり、主体性を評価することにもなります。現状の日本の社会状況を踏まえてのことです。少子高齢化社会、右肩上がりの経済成長の終わり、成熟した社会への転換などたくさんの変革の時期を迎えています。持続可能な経済社会への転換が求められていると同時に、予測不可能な時代でもあります。
30年以上、G D Pは成長せず横ばいです。給料も上がりません。一人一人の労働生産性も上がっていません。企業は、自身を守るために、内部留保を続け、人員整理をはじめます。
企業の寿命は短くなっていっています。終身雇用の廃止、退職金の減額など、今までのように会社が一個人を守る時代ではありません。
会社に使われる時代から会社を使う時代。つまり、いくつもの仕事を持ち、復業を持ち、キャリアアップしていくことが当たり前の時代です。
より主体的に行動することが「生きる力」に直結し、主体的でないと生き残れない、二極化する時代です。

○学校が変わること
学校は学制以来、ほとんど変わっていません。学校は、もともと兵士を作るために、画一化された人をつくるためにできました。これまで数多くの教育改革が行われましたが、どれも決定的なものではなく、今までを踏襲するものでした。
西欧などでは、今から40年ほど前から、教育の変革を国を上げて考え、主体性を育てるためのシステムを構築してきました。スポーツへの取り組みも、目の前の勝利にこだわることなく、長い時間をかけ、成長に合わせて取り組むものとなしました。すべての教育が主体性を育てる、人材育成、人財育成という上位目標が国民すべてに共有して行われています。
昔のまま、変わることのなかった日本の既存の教育で主体性は育てることがほとんどできません。一番は、子供たちの選択肢が保証されていないからです。決められた学習内容、決められたルール、管理された学校生活の中で、自主性を育ててきました。しかし、自ら、ゼロから考え、選択し、行動するという主体性を発揮する機会が既存の学校にはほとんどないのです。今まで通りの教育では、主体的に生きることが不可欠な社会で生き残っていくこと自体が難しいのです。不易流行、変えなくて良いこと、変えなけらばならないことを見極め学校が変わっていくことが必須です。

○まず教師が主体的になること
子供たちの主体性を伸ばすために、まず大事なことは、大人が主体的になることです。主体的に行動する、自分ごととして行動する。
例年通り、今まで通りを疑い、本質、上位目標、何のためかをとらえ、何でもすべきでなくて、何をすべきかを考え、子供たちの未来を本気で考えることです。
子供たちに、「自分の意見を持ち、それを責任を持って相手や周りに伝え、そして協力を得て行動し、実現する」といったことを私たち教師は言います。そのまま、その通りに、私たち教師が率先して、そういう姿であり続け、実践すること。同調圧力に屈して何も言わない、まわりの空気を読んで何もしない、目立たぬように立居振る舞うのでは、子供たちの主体性を育てるのはおろか、子供たちの主体性を評価することもできません。

○提言その1
学年担任制へのシフト
元々、法には、1クラスは40人まで、その際、その学年には○人の先生が割り当てられることになっているだけで、ひとつのクラスに一人の担任がいなければならないとなっていません。今までそうやってきたからというだけで、学級担任制が存在します。学年担当の先生で学年全体の子供たちを支援するというのが本来の姿です。既存の担任制では、クラスにおける全てのことを担当することになります。たまたま同じクラスになっただけで、1年間同じ顔で過ごし、その担当の先生もたまたまそうなっただけで、変わることもないし、選ぶこともできない、よく考えれば異常なことです。生徒も先生も人間同士なので、合う合わないもあります。教え方はこの先生の方がいいけど、進路相談や悩み相談ははこの先生の方がいいなぁという場合もいくらでもあります。同じ生徒と同じ教師。選択肢がせばめられ、未来も狭められてしまいます。また、学級担任だけでは処理できない数多くの問題も起こっています。一人の教師が40人近くの子供たちを担任するというシステムの限界です。子どもにとっては担任の先生なんて変えようがなくて、大人が選んだものを、運命のように子どもに与え、それによって子どもの未来が制限されることは主体性を育てるという本質からかけ離れていくのではないでしょうか。
始業式の担任発表での「あたり・ハズレ」が子どもの未来を左右するのは本来の学校の目的ではありません。
教育相談も、進路相談も、個人懇談も、決まった先生ではなく、学年全体で担当する。
入れ替わり立ち替わり担当が変わり、子供たちが自分で選べる。
クラスマネジメントは、子供たち自身で、子供たちによる自治です。
一人一人がクラスマネジメントを自分ごとをして捉え、一人一人がリーダーにもなります。
「先生の人気・不人気が出るのでは?」と言う声が生まれてきそうですが、大人の事情で子供たちが主体的になるだろうチャンスを奪うのではなく、何のための学年担任制なのか、子供の自治力、主体性を育てるための本質という上位目標に主体的に教師が取り組むことが、子ども達の未来を守ることにもつながります。
大人の事情が優先することもあります、ある程度子どもの我慢を求めることもあります、が、もとめることは極力最小限にすることが大切です。

○提言その2 
宿題の廃止
 そもそも学習は、知らなかったこと、分からなかったこと、できなかったことが分かるようになる、できるようになることで学力が上がることです。これが上位目標で、内申のためも大切ですが、これは最優先ではありません。
 また、主体性という面から見ても、ただ知識を集めるという情報収集だけでなく、自ら探求すること、自ら知識を求めること、さらにその得た情報を自ら編集していくことが、これからの主体的な学力でもあります。
 自分で分からないことを見つけ、自分で分かるようにすることが主体的な学習です。既存の宿題は、すべての子供たちに適していません。すでにできる子供にとっては無駄な時間となります。苦手な子供にとっては、特に一人では問題解決できない子供には、こなすことができない大きな劣等感にもつながり、結果、諦めることにもなります。
 また、多くの生徒が「宿題を出すこと」が目的となってしまい、「分からないこと」「できないこと」は関係なくなっています。時間だけ奪われることに慣れてしまい、宿題の量が増えれば増えるほど、手段が目的となってしまいます。主体的な学力、主体的な学習からかけ離れていきます。この学習習慣、考えずにこなしていくことが、日本では、「学校を卒業すると学習しなくなること」にもつながり、労働生産性が低い原因にもなっています。
 さらに、課題を提示しないと何もしない、何もできないことが、主体性、自律性を奪っています。これから必要とされる人材は、多様性を受け入れ、課題を自ら見つけ、課題解決のために、自ら行動を起こすことが大切なのにも関わらずにです。
 コロナウイルスは、日本の社会の問題点を浮き彫りにしました。さらに教育の問題点をも浮き彫りにしました。学校から指示されないと動けない、家に閉じこもったまま、何をしたらよいのかわからず、その姿を見て、親は心配になり、右往左往する。やらされる、指示されることに慣れきってしまう教育の成果です。

○提言その3
定期テストから単元テストへのシフト
スタディサプリが無償で提供され、いつでもどこでも学習できる機会が与えられました。YouTubeでも無料で数多くの授業が提供されています。学校へ登校し、朝から夕方まで、同じメンバーで、同じ内容を、同じように学習することが果たして有効なのか、時間の無駄ではないのかと気づく大人、子供たちがいます。
N中学校が新設され、既存の学校に籍を置いたまま、オンラインで学習できる選択肢もできています。
一人一台のタブレットも与えられ、よりネットにつなげて一人一人の理解に応じて授業内容が個別化できるようにもなっていきます。タブレットを使えば、個別のポートフォリオも作成可能です。
評価についても、先に述べたように主体的な態度を評価し、自ら探求したり、自ら情報を収集し、編集することが重要視されていきます。
 しかし、既存の定期テストでは、点数に縛られ、時間の制約を受け、進度を気にしながら、一斉に授業を行うものでした。理解度が異なっていても、同じ内容、同じ授業時間です。テストが終わっても、理解しないまま、進度が進んでいくことも数多くあります。
 個別最適化される授業が行われ、主体性が評価される現状では、既存の定期テストでは対応できないのは明らかです。さらに、既存の定期テストでは、暗記主体で、思考脳ではなく、暗記脳を鍛えることにもなっています。
 本来、テストは、分からなかったところを分かるように、できなかったところをできるようにするためのものです。授業の中で、単元終了時などに、理解度を測るテストを増やしていくことが急務です。時間にも縛られない訳ですから、中学3年時の進路選択時(日程、内申というシステムが古いのですが)でも、単元テストなら、余裕を持って、主体性を評価できます。

以上、3つの提言をしました。校則についても変化が必要ですが、それはもうすでに取り組まれています。
長文で私感も多いですが、教育の変革に待ったはありません。躊躇すれば、その間にも子供たちは学校へ登校します。変化を恐れず、上位目標へ向かった取り組みが必要だと思います。
                                  

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